日が暮れると、田舎のシンフォニーが始まる。それは蛙たちの合唱だ。池や墓地、田んぼから、遠くまで響き渡る彼らの鳴き声は、繁殖期を迎えた求愛のサイン。この雨季の音楽は、まるで張子の笛の音のように、村の若者たちの心を掻き立て、蛙獲りの季節の到来を告げる。生粋の田舎育ちの私は、その音色に魅了され、蛙獲りの名人と謳われる羅さんの家を訪ねた。蛙は昔のように簡単には捕まえられず、熟練の技が必要となった。今では、各集落に数人しか残っていない。この柿の村では、羅さん、石蹴りの達人、張さんくらいだろう。
去年の雨季、他の人々は一晩に5、7匹しか捕まえられなかったが、彼らは100匹以上も捕まえたという。羅さんの家に着いたのは7時過ぎだったが、彼はまだ悠然と縁側で刻みたばこを巻いていた。「蛙獲りに行かないんですか?」と尋ねると、「焦るな。若い衆が騒ぎ疲れるまで待つんだ。疲れたら、俺たちの出番だ」と答えた。
羅さんは既に道具の準備を終えていた。バッテリー、ヘッドライト、籠、魚籠、手製のナイフなど。
お茶を数杯飲み終えた頃には、9時を過ぎていた。「そろそろ行こう」と羅さんは言った。
この習慣がいつから始まったのかは知らないが、私が子供の頃から毎年同じように行われていた。最初の雨の後、田んぼは祭り会場のように賑やかになる。周りの村の老若男女が田んぼに集まり、ネズミを捕まえたり、蛙を捕まえたりする。中でも一番多いのは蛙獲りだ。灯りはまるで夜の街のように輝いている。
互いに呼びかける声と蛙の鳴き声が混ざり合い、田んぼの夜は市場のように活気に満ちている。昔は、最初の雨が降り始めて田んぼに水が溜まり始めると、水が引くまで蛙獲りの季節が続いた。蛙を食べ飽きるまで、人々は蛙獲りを続けたのだ。当時は蛙を買う人はほとんどいなかったので、市場で売ることはなかった。
昔は、蛙獲りは毎日の食卓を豊かにするためのものだった。しかし、今では蛙は珍味となり、蛙のバター焼きや炒め物はレストランの定番メニューとなっている。バクリュー市場では、生きた蛙が1キロで20,000~30,000ドンで売られている。
蛙の身価が上がったため、今では多くの人が蛙獲りに精を出すようになった。蛙獲りの季節だけでなく、一年を通して、釣り、突き、引っ掛けなど、様々な方法で蛙を捕まえている。人口増加による自然資源の乱獲に加え、今では田んぼで年間2~3回稲作が行われ、農薬が一年中使用されているため、蛙の繁殖に悪影響を及ぼしている。
さらに、エビの養殖のために、淡水から塩水への生態系の変化が進み、蛙の生息地は狭まっている。そのため、蛙の数は激減している。今では、私のような素人は、羅さんの手伝いをして小遣い稼ぎをするのが精一杯で、蛙を捕まえることはできない。
羅さんの蛙獲りの技術はまさに名人芸だ。「蛙は口が災いして死ぬ」ということわざがあるように、蛙獲りの名人はライトを消し、蛙の鳴き声を頼りに近づき、ライトを点灯させて捕まえる。言葉で言うのは簡単だが、実際は非常に難しい。蛙の色は土の灰色とよく似ており、ライトの光を見ると、蛙は頭を地面に伏せてしまうため、見つけるのは至難の業だ。
羅さんは並外れた視力を持っており、ライトを点灯させた瞬間、蛙の目の光を見つけて捕まえる。私は、蛙、ヒキガエル、ネズミの目と見間違えてばかりいた。羅さんは、蛙の目は他の生き物の青い目とは異なり、赤い色をしていること、そして、その光はすぐに消えてしまうことを教えてくれた。1時間ほど歩き回って、羅さんは3匹捕まえたが、私は1匹も捕まえられなかった。
11時近くなり、羅さんはバクリュー地方の伝統的な蛙獲りの方法に切り替えた。それは、捕まえた3匹の蛙を囮にして、他の蛙をおびき寄せる方法だ。蛙の鳴き声は、恋の雷鳴のように強力なようだ。繁殖期の雌(または雄)の蛙の鳴き声を聞くと、他の蛙は仲間が呼んでいると思い、囮の蛙の入った籠の周りに集まってくる。
私と羅さんは田んぼの畦に座ってタバコを吸い、1時間ほど世間話をした。そして、ライトを点灯させると、籠の周りには10匹近くの蛙が集まっていた。この蛙の誘い込み方は、昔、岸辺の田んぼにいた七生さんに比べれば、まだ序の口だ。彼は、耳だけでどの蛙の鳴き声が最も魅力的かを知り、その蛙を必ず捕まえようとした。その蛙は、優秀な猟犬のように、蛙獲りの季節を通して彼を助けてくれた。時には、一度囮を仕掛けるだけで、籠がいっぱいになることもあったという。
彼はまた、囮の蛙に劣らず魅力的な蛙の鳴き真似をすることもできた。ある時、岸辺の村から1キロ以上離れた田んぼに住む、蛙獲りの名手として知られる沼の旦那が、岸辺の田んぼで魅力的な蛙の鳴き声を聞きつけ、急いで駆けつけた。彼がライトを点灯させると、そこには七生さんが仁王立ちしていた。
蛙獲りの様子
午前3時まで歩き回り、私たちの籠には50匹以上の蛙が入っていた。私は疲れと空腹を感じ、羅さんに帰るように言った。羅さんは火を起こしてご飯を炊き、私は籠の中から一番大きく太った蛙を2匹選び、熱湯にくぐらせてきれいにした後、茹でて、手で裂き、セリと和えた。雨季の蛙は、身が詰まっていて脂が乗っており、内臓はきれいだし、美味しい卵も持っている。私たちは、一番大きな蛙と、その季節で一番美味しいご飯で自分たちにご褒美を与えた。
翌朝、目が覚めた時、体はぐったりしていたが、不思議な爽快感を感じた。蛙を生み出した田んぼ、村に蛙獲りという祭りを与えてくれた豊かな田んぼを、愛おしく思った。蛙獲りは、田舎の単調な生活を彩り、田んぼ独自の文化を生み出してきた。それはまさに、故郷の魂であり、田んぼへの愛を育み、温めてくれるものだ。